Osaka to the World
大阪から世界へ
堺の地場産業である刃物の地金商として創業して以来、農業機具部品の製造や自転車部品加工と
時代のニーズに合わせ、鉄を加工する産業に関わってきました。
大阪・堺の地金商が、いかにして世界のKOYOとしてビジネスフィールドを広げることができたのか?
また信頼のブランドとして、今後想い描くビジョンについてお話しいたします。
海を渡る。
じつは、その歩みに明確なビジョンや戦略はありませんでした。
向陽技研が海外に目を向けたのは、日本で起こったバブル景気が崩壊して間もない1990年代前半。国内市場が縮小の一途をたどり、あらゆる企業が生き残りをかけた選択を迫られていました。そうした中で「有名な家具メーカーが数多いイタリアやドイツに向陽技研の機能パーツを使ってほしい」という募る想いにも背中を押され、意を決したのです。
しかし、海外市場は未開の地。
同業他社がそれほど存在していなかった台湾をはじめとする東南アジアを皮きりに、中国、ヨーロッパへと培った技術力を糧にした挑戦の幕が上がります。
その始まりは、グローバルビジネスをイメージさせるにはほど遠い、行商のように地道な道のりでした。
それは、抱えきれないほどのカタログやサンプルを携え、連日にわたって家具メーカーが集まる展示会に足しげく通うというもの。
各社の展示ブースにカタログを置いてもらい、展示会に訪れているバイヤーにも直接売り込むなど、向陽技研を知ってもらうための努力を積み重ねていく日々。
やがて「どこの展示会でも、どこのブースでもKOYOを目にする」と同じく海外進出を目指す日本企業に呟かれるほどに。さらに、ヨーロッパでは日本市場を見据える家具メーカーも多く、メイド・イン・ジャパンの信頼度が追い風をもたらしたのです。
展示会の向陽技研ブース
KOYOブランドへ。
地道なアプローチとメイド・イン・ジャパンの強みが功を奏し、開発の相談や引き合いにつながり、技術力と品質に対する信頼は確かなものに。
しかし、海外展開の成果を左右する課題が持ち上がったのです。
それは、見過ごすことができないユーザビリティの向上。
だれでも使いやすく、いつでも買い求めやすく。
向陽技研は、満を持して中国、ドイツ、ベトナムに現地法人を設立。
現在では、主力部品を日本生産とするメイド・イン・ジャパンのこだわりを貫きながらも、迅速かつ安定したデリバリー、細やかな対応力を発揮し、「KOYO ブランド」として周知されるまでに。
ユーザーが手がける製品の価値を高める一助でありつづけるために、つねに期待以上のモノづくりに努めています。
東莞向陽金属製品有限公司
KOYO Hanoi Limited
KOYO Germany GmbH